芦沢はその日のうちに近畿電力の広報担当に電話を入れた。プロデューサーがプロデューサーとしてのポジションを維持する最も明快な方法、それは金を出すスポンサーをまず押さえることだ。担当とは企画書が上がった時点で直接会う必要があったが、その前の探りの段階が最も重要なことを芦沢は知っていた。成るか成らないかの判断は、企画書などなくても、電話の声だけでほぼできるものだ。芦沢は相手の声にゴーサインを聞いてニヤリと笑うと会議室を後にした。
玄関を出て右に曲がり、地下鉄の駅に向かう途中で、アシスタントの西山が言ったことを思い出した。どうやら、斎藤は降りると言っているらしい。斎藤らしくない考えだ。斎藤は報道上がりのカメラマンで、危険をかえりみず執念で被写体に迫っていくところを芦沢は買っている。斎藤とは幾度か相当に危険な目に遭っている。何があったのか聞いておかなければ。彼に降りられたらこのプロジェクトは成功しない。芦沢はそう直感した。
「斎藤さんはどうしてそんなことを言いだしたんだ」
「芦沢さんが本気でやろうとしているのかどうか分からないって」
「奴らしいな。馬鹿げた企画だって言うのか。いつも俺の企画は馬鹿らしいけどな」
「鮭が外洋から生まれた川に上ってくるっていうのは、気に入ってるようですけど」
「そんなもん、どこのテレビ局でもやってるじゃねぇか。そいつぁ平時の企画だよ。俺にとっちゃ、そいつぁダシさ。この渇水期に川を造るってのが本命の企画だ」
「そこなんですよ、斎藤さんが引っ掛かってるのは。芦沢さんの企画には人を見くびったようなところがあるって」
「鮭を上らせたいから川を造るんじゃなくて、川を造りたいから鮭をダシにして金を出すスポンサーを見つけてくる。それがプロデューサーってもんだろうが」
「でも、それで芦沢さんは何をしたいんですか」
「この干からびた時代に一杯の清涼飲料のような夢を提供しようっていうんじゃねぇか」
「いえ、芦沢さんは自分の思うように人を動かしたいだけなんじゃ・・・すいません」
「そう斎藤さんが言ったのか」
「いいえ、すいません。斎藤さんはそんなことは言ってません。ただ、良心と矜持に反すると」
「一度斎藤さんと会った方がよさそうだな」
誰もがそれぞれの立場でしか物事を判断していない。部長は、エコロジーに関連した企画を遂行しろと上から言われているに違いない。副部長、課長はそれを遂行する。クライアントは、新しい釣り道具を売るための今日的な企画を期待している。電力会社はその企画に乗ってクリーンイメージを売りたがっている。買いたがっている人間がいて、売りたがっている人間がいる。買いたがっている相手に対して、俺は売れる企画を出した。そして、売りと買いが成立する。買った人間の得るものは、イメージだ。売った人間の得るものは、金だ。それだけのことだ。真っ当な取引だ。斎藤は良心と矜持に反すると言った。笑わせるぜ。時代錯誤な野郎だ。今の時代に良心は不必要な代物だ。良心があったら、できないことだらけの筈じゃないか。その上矜持と来たもんだ。俺の矜持は企画の成功。時代を読んで、時代を反映する企画を通すことだ・・・。
芦沢は思考を一旦打ち切ると、改札を通る前に斉藤ではなくてキャンディに電話した。
キャンディはまだ寝ていたが、マンションに来いというのでタクシーを拾った。キャンディのマンションまでは車で十五分ほどの距離だ。エレベーターで最上階まで上がってチャイムを鳴らすと、ハスキーな声がドアが開いていることを伝える。ドアを開けると、シャンプーしたての長い髪をバスタオルで拭きながら、キャンディがこっちに向かって歩いてくるところだった。芦沢は、キャンディの髪に指を差し入れて顔を引き寄せ、セクシーな口に口づけする。
「お腹、減ってない?」
いつもこうだ。これが、キャンディの挨拶代わりの台詞だ。飯を食ってからでないと何も行動に移れないとでもいうのだろうか。とにかくまずは食ってからなのだ。
「今日は練習、ないのか」
「ええ、ちょうど昨日新しい出し物の練習が終わったところで今日はオフなの。夕方までは時間あるけど、映画でも行く?」
「それより、何か食わしてくれ」
「何よ、やっぱりお腹減ってるんじゃない。鮭チャーハンでいい?ちょっと待っててね、すぐできるから」
鮭チャーハンとスープで腹がくちくなったところへ、ヘネシーのグラスが二つ並べられる。カレーライスを食いながらブルゴーニュのワインを飲むようなものだが、このアンバランスがキャンディのいいところなのだ。店では華やかで艶やかでとってもセクシーなキャンディの日常は一昔前の侍の妻のように慎ましく堅実そのものだ。
「ちょっとお洗濯してしまっていいかしら?すぐ終わるから待っててね。テレビでも見てて。飲みすぎて寝てしまったりしたらいやよ」
頬を思いっきりつねられて目が覚めた。ぼんやりした視界の中で、ショートカットのキャンディの大きな目が睨んでいる。見ると、胸の大きく開いたスパンコールのドレスに身を包んでいる。もう店に出る支度をしているということは夕方なのだろうか。
「すまん、もう行く時間なのか」
「もうちょっとで出掛けるけど、夕御飯一緒に食べる?」
「さっき食った」
「あれはお昼御飯よ」
煙草に火を点けながら、芦沢は忘れていることを思い出そうとするような目でキャンディを見た。そして、忘れているわけではないのだが、言いだすきっかけがないことをキャンディに目で知らせた。勘のいいキャンディはすぐに反応した。
「アイちゃん、嫌がってるみたいよ」
「そうか、すまんな無理言ってしまって。荒木は今度の企画にどうしてもいるんだよ」
「あなたがそう言うから口だけは利くけれど、あのコに辞められたら困るのよ、アタシ」
「すまん、君を巻き込むつもりはないんだ」
「あなたはいつもそう言うけれど、あなたのしたことは、皆アタシに返ってくるのよ」
「そう言うなよ。とにかく半年だけ引っ張っておいてくれよ」
行きつけの飯屋でキャンディに晩飯を奢って貰い、キャンディをショーパブまでタクシーで送り届け、そこから歩いていつものバーに寄った。斎藤は来ていなかった。斎藤が来ていないと思ったことで、斎藤に会いたかったのだと分かった。
ドンゾイロのフィノを二杯飲んで、マスターのシェリーに関するウンチクを聞かされて店を出て、二軒目の店に入った。
斎藤がいつもの席に座っていた。
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